3.2. 海外の経験- ラオスでのゼロからの出発  近江 英家  ‘74 土木

  1978年6月から2020年5月まで(この間 国内勤務は約2年)の期間、40年近く海外土木プロジェクトに携わりました。滞在国は、赴任順に シンガポール、タイ、バングラデシュ、ラオス、ベトナム、UAE・ドバイ、インドネシア、ウガンダ、(又バングラデシュ)の8カ国で、計19プロジェクトを担当しました。
  この報告は1994年から2004年9月まで駐在・兼務(ベトナム)した、日本人にはあまり馴染みのないラオスでの体験を紹介します。昨年11月に愛子内親王が最初の海外訪問をされたのが、友好関係樹立70周年のラオスでした。20数年前は秋篠宮親王が「にわとり」の原種(大きさ2mぐらい)がラオスに生存しているということで、ご研究のためしばらく滞在されておりました。また、青年海外協力隊が1965年に発足し、5カ国の内ラオスに一号隊5人が水田開発のため派遣されました。 

(1) プロジェクトの経緯・概要
  1993年にラオスに計画・発注予定の52箇所の中小橋の調査のため、当時勤務していたバングラデシュから現地入りし、翌年見積・入札・受注を経て、同年11月に着任しました。ラオス国内の道路網は、国道13号線が日本に例えれば国道1,2号線の重要幹線であり、メコン河にほぼ沿って南北に走っており、首都ビエンチャンは北部1/ 3に位置しています。(地図参照) 当工事はそのビエンチャンから東へ約200kmの地点を工事始点として最初は15橋で、最終的には約384kmの区間48箇所の中小橋を仮設鋼製橋(下図ベイリー橋と呼ぶ)からコンクリート橋に架け替えることになりました。日本では東京を出発して静岡・袋井市あたりの工事始点から神戸までの区間の48橋と想像してください。最終4つの工区になり全体工期は約5年でした。

(2) 課題と対応策
①  通信システム -  首都を主拠点にして各現場にベースキャンプを設けて、各地点との通信方法、スタッフ移動時・緊急時の連絡方法が重要課題であり、その解決策として、乗り込み時は当時衛星電話を使い始めの頃で、海外旅行用のスーツケースに内蔵した衛星電話が非常に役に立ちました。が、本体価格は260万円、通話料1分間約10000円でしたので、この継続使用は原価管理上影響大ということで、第二工区から約60万円の長距離用無線機に替えました。 
②  ローカルスタッフの雇用―少人数の日本人で工事を消化するためには優秀な現地スタッフを数多く雇う必要があるため乗り込み時即、新聞に募集広告を出し国営ホテルで午前学科試験、午後面接を行い、現地スタッフを採用しました。学科試験は中学程度の一般教養、初歩的な専門の内容にして、面接を重視しました。ラオスは社会主義国でしたので土木担当者は、ソ連および語尾に「スタン」とつく中央アジアの国々やベトナムの留学経験者が主でした。現在このスタッフの中には、年商数億円から20数億円の建設業者、政府関係スタッフ、海外勤務で活躍している人がたくさんいます。今となってはうれしく誇りに思っています。 
③  技術移転―当地には主に労務提供程度の下請業者しかいませんでしたので、ラオス人への技術移転をする必要があり、言葉の支障がないタイ人の職人集団(13~20人)を橋渡し役として連れて行くことにしました。もちろん日本人によるマネージメントが主体ですが、日本人・ラオス人・タイ職人・下請業者との技術移転がトラブルもなく友好的にでき、この諸策は功を奏したと思っています。
④  マラリア対策―現在世界では約2億人以上が感染し、20~40万人が死亡すると言われているマラリアがラオスではアジアの中では突出して感染率が高いため、それに対処するために乗り込み前から関連情報で予習して、乗り込み後はJICA(国際協力機構)派遣の琉球大学・広島大学の熱帯医学専門の先生方に指導していただきながら対処した結果は、日本人ゼロ、タイ人1名、下請労務者数名が感染した程度でした。マラリアは原虫のハマダラカの活動は涼しくなる夜中0時頃から早朝4時頃までで、発生場所は水のきれいな河川沿い、刺されるのは膝からくるぶしまでの足などと特定的な特徴があります。実際の予防方法は、1週間1回錠剤服用でしたが、日本人の場合は各部屋の中古日本製エアコンでキンキンに冷した部屋にマラリア蚊を侵入させないことが一番効果があったと思います。

(3) 日本人用の生活環境整備
①  食事―まず和食をどう毎食用意できるかが海外で生活をする上での最大の課題です。その点着任前、大変不安でしたが、非常に幸運だったことはビエンチャン事務所兼宿舎と現場宿舎での食事を和食「もどき」ではなく、「ほぼ本物」を料理できる腕利きの「賄いシェフ」の二人に巡り会えたことでした。その賄婦にビエンチャンで現場宿舎用の材料調達も問題なくやってもらい、もう一人の賄婦に現場宿舎で毎食美味しい和食を準備してもらい、何の心配もなく仕事に集中してもらうことができました。ラオス人は主食がモチ米ですが、当時は気がつきませんでしたが、一号協力隊の援助のお陰かもしれませんが、我々はジャポニカ米を美味しくいただきました。ビールはゲキ推しの現地産「ビアラオ」でした。 
②  スペース―自身のバングラデシュでの経験を活かして食卓テーブルの横に畳10畳のスペースを設け、昼寝・夕食後のリラックス時間を寝転がりながら過ごせるようにしました。 
③  岩風呂―海外生活ではシャワーで済ませることが多いため、当現場では湯船につかって現場の疲れをとるために宿舎内に「岩風呂」を自分で設計し作りました。薪は雑木林の丸太そのまま。 

 

(4)   関係者への謝意
  竣工時毎回、ビエンチャンのホテルで関係者への謝意を込めてパーティーを開催しました。実は沖縄の泡盛はラオスの焼酎「ラオラオ(70度ぐらい)」がルーツと言われおり、ラオス人はお酒に強くアルコールをこよなく愛しており、更に和食も大好きなので、その材料をバンコク・伊勢丹から入手し、ホテルの厨房を借り、刺身・握り(寿司)・天ぷら・おでん・そばの好評5品目を「賄婦シェフ」が料理し、お酒は福島・奥の松(酒元から直送)を予め10時間4斗樽に浸けた冷温の「樽酒」を鏡開き後、呑口を薄くした自作デザインの現地竹製・ぐい呑みで毎回たっぷり飲んでいただきました。招待客はラオス側から大臣初め政府高官やスタッフ等、日本側からは日本大使、大使館員、JICA関係者でした。ラオスの皆様は勿論、協力隊員も久々の和食を日本酒と一緒に堪能していただきました。
  最後に8カ国に滞在した中で何故ラオスを選んだか、それは生活を立ち上げるためにローカルマーケットに食器を初めとした生活用品などを自ら買いに行き、200kmも離れた場所で雨期になったら国道が泥だらけのためほぼ通行不能になる中で工事を進める策を考え実行できる、都市部の工事では味わえない何から何まで自分で準備する醍醐味がそこにあったからです。当工事は土木技術的には難しい訳ではないですが、古代ローマ帝国を築いたといわれる「ロジスティクス」=スタッフ・資機材(食材も)などの手配・配送・後方支援がいかに重要かを認識できたからです。また、ラオス人の中に日本人同様「おもてなしの精神」が生きづいていて、滞在期間中、常に「人を遇する術」を実践されているラオス人の温かさ・優しさを感じながら、生活、工事ができたことに感激・感謝したからです。